新所原駅の立体交差跡


東海道本線新所原駅の豊橋側には、朽ち果てているコンクリートの高架や盛り土がありますが
これは二俣線(現天竜浜名湖鉄道)から、東海道本線の下り線に乗り入れるためのものであったみたいです。

駅構内
新所原駅構内の北側にある空き地。かつてはこのあたりから盛り土線に登り、東海道線を超えていました。
何時ごろにつくられたかは不明ですが、昭和62年の天竜浜名湖鉄道転換時には使われてないので昭和59年の
貨物廃止時につかわれなくなったかもしれません。国土交通省の航空写真を見ると昭和58年当時は現役だったようです。
旅客も二俣線時代は豊橋へものりいれていたので、その乗り入れに使っていかもしれませんが豊橋側にもポイントがあり
浜松側からでも乗り入れは可能だったので、新所原駅に止まらない貨物専用だったかもしれません。
豊橋側を見る
同じ場所から豊橋側見る。完全に草に覆われていて、自然にもどっているかんじです。
この高さだと盛り土が防音壁代わりになるんで、線路脇にの割には静かでだと思うし。
ここまで草や木が生えると崩れるにくいので、撤去することはないんでしょうね。

盛り土をくぐる
豊橋側へすこしいくと、盛り土をくぐる場所があります。
ただ、くぐってもあるのは東海道線の線路と小さい畑だけ。
畑のあたりをみると、バラスとらしい砂利が転がっているが国鉄時代から畑でまったく関係無いです。
高架橋
さらに豊橋側に行くと、盛り土から高架になり東海道線をオーバークロスしていました。
阪神大震災が起こってた後に耐震性とかが問題になったようで、撤去されてしまいました。
合流点
東海道線下り線に合流していた部分。踏み切りを超えた先で東海道線と合流してました。
今は完全に草だらけでありますが、7年ぐらい前まではレールも放置してありました。
さすがに踏み切りは撤去されていますが、高架橋の撤去工事のときにレールもはがされたようです。
朽ちたガータ橋
朽ちたガータ橋。むかしはここにもレールがありました。歴史的なことを言いますと、二俣線ができたのは昭和11年。
陸軍が沿岸にある東海道本線が攻撃された場合のことを考え、内陸部にバイパス的に作ったのが二俣線。
この立体交差もこの時作られたと思いますが、貨物列車用と考えるのが妥当でしょうか。
南側より豊橋側を望む
東海道線の線路の反対側より盛り土を望む。草だらけであるが、高架橋の辺りから見ると平らになっているのがわかると思う。
盛り土と高架橋の境目辺りはすでに崩れているので、かなり老朽化が進んでいる。
途切れている辺りが東海道線の線路。交差部分が撤去される前はレールも見えたいましたが今はありません。
南側より豊橋側を望む
立体交差があった部分を望む。架線柱のあたりにも橋脚があったが、一緒に撤去されました。
こうやって見ると、立体交差部分は結構ながかったようです。

東海道線を乗り越していた部分以外は撤去されてませんが、高架部分は老朽化がかなり進んでいると思います。
今のところ撤去する動きはありませんが、東海地震のことがあるのでどうなるかわかりません。
推測ばかりでを書いたので、詳細を知りたいと思うけど資料が無いので調べられないのが残念。


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